姓名: ずうとるび 英文名:- 性别:组合 国籍:- 出生地:- 语言:- 生日:- 星座:- 身高:- 体重:-
小档案
成员
山田隆夫
1956年8月23日生まれ。血液型A型。東京都深川出身。サイドギター&ボーカル担当。ずうとるび結成以前から作詞・作曲が趣味であった。ギターに関してはかなりのコレクターと言われていた。1977年、吉川圭子との結婚(4年後に離婚)を機に脱退。のちに再婚。現在は、かつて出演し、グループ結成のきっかけを作った笑点の座布団運び役として活躍中。
新井康弘
1956年12月5日生まれ。血液型A型。東京都出身。ドラム&ボーカル担当。 1977年、「岸辺のアルバム」(TBSテレビ)に出演し注目される。「ずうとるび」解散後は俳優の道に進む。俳優としての代表作は「大好き!五つ子」他。
江藤博利
1958年9月5日生まれ。血液型B型。宮崎県都城市出身。リードギター&リードボーカル担当。 1971年『スペクトルマン』第17,18話および第62,63話(最終回)に、子役として出演。特に63話では、ネビュラに帰還するスペクトルマンを怪獣Gメン達と共に見送っていく、幸運な役どころだった。
中学時代は一時芸能界から離れ学業に専念。バレーボール部で活躍。
右利きでギター担当。結成当時は最年少だったことから、「ずうとるびにおけるジョージ・ハリスン」と言われる。また、当時メンバーの中でも甘いマスクを持つことから、断トツの人気を誇った。
山田隆夫脱退の後を受けてボケ役を担当するようになったが、山田と比べ、こちらは幾分「天然ボケ」の趣があった。また、「三波伸介の凸凹大学校」において、現在の浜田雅功や草彅剛に匹敵する画力(?)を見せ、後の「お笑いマンガ道場」でもこれを「芸風」として頻繁にゲスト出演、新たなファンを増やした。
現在、新小岩でダーツバーを経営。一方で近年、「やっちゃいました劇団」を立ち上げ活動している他、「はいからフライデーナイト」など、関東ローカル系の番組に時々出演している。 なお、 元・フィンガー5の玉元正男とは現在も親交がある。
今村良樹
1957年9月19日生まれ。血液型A型。東京都目黒区出身。
ベースギター&リードボーカル担当。グループ名がビートルズのパロディということからか、ポールマッカートニーばりに左利きでベースを構えていた姿が印象的。
また、マンガやイラストが得意で、実際にコミック雑誌「デュオ」に読み切りマンガを掲載したこともある。
アメリカへ留学のために芸能活動休止、これを機にグループも解散した。
帰国後は放送作家として「全国高等学校クイズ選手権」「マジカル頭脳パワー」などの人気番組の構成を担当。「お笑いマンガ道場」では構成を担当するとともに、自身も何度かゲスト出演していた。 また、文化放送 アニメ&ゲームゾーン創成期に様々な番組を手がけて同枠の定着に功績を残した。2009年3月まで、日本テレビ系お昼の人気番組おもいッきりイイ!!テレビに出演していた。
現在は紙芝居師の集団「渋谷画劇団」を旗揚げしプロデュースする。
池田善彦
1959年2月10日生まれ。血液型A型。兵庫県神戸市出身。
1977年、山田隆夫の脱退後、一般公募による新メンバー。
「春のひらめき」で再始動。直後に始まった東京12チャンネル系「三波伸介の凸凹大学校」にレギュラー出演。
並行して役者としても数本単発ドラマに出演していた。
現在は、東京都中野区内のバーのオーナーを務める。
小简介
ずうとるびとは、1974年から1982年の間に活動した日本の音楽グループ。
大事件
日本テレビの番組「笑点」のコーナー「ちびっこ大喜利」にて、山田隆夫が座布団10枚を獲得したことがデビューのきっかけとなった。元々ギターが弾けた山田以外はまったく楽器が出来ず、パート決めでは楽譜が読めなくても演奏できそうなドラムパートの奪い合いになったと当時の芸能雑誌に紹介されていた。1974年2月に『透明人間』(作詞・作曲:山田隆夫)でデビューして以来、通算でシングル20枚、アルバム9枚などを発表した。名前は「ビートルズ」の“び”と“ず”の位置をひっくり返してつけたものである(本人たちは、「ビートルズをひっくり返した」と言っている)。ずうとるびの代表的なヒット作品には、『みかん色の恋』『恋があぶない』『初恋の絵日記』などがある。また、多数のバラエティ番組出演でも高い人気を持っていた。
歌番組では、4人並んで踊りながら歌う姿と、バンドとして演奏する姿の両方が見られた。また、NHKの人気歌番組「レッツゴーヤング」の司会としても活躍し、その際にはバンド形式で演奏する姿もよく見られた。
紅白歌合戦に1度(1975年)出場している。